日本庭園巡り(ホーム) > 清澄庭園
清澄庭園
清澄庭園(読み方:きよすみていえん)のあたりはもともと江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)の屋敷跡だったと伝えられています。その後下総国関宿の城主・久世大和守の下屋敷となり、そのときに清澄庭園の原型が造られたそうです。
その後衰退していた庭園を含む邸宅一式を明治11年(1878年)に三菱の創業者である岩崎弥太郎が買い取り、社員の慰安や貴賓をもてなす場所として造園しなおし「深川親睦園」として開園しました。岩崎弥太郎の死後も造園工事が行われ、隅田川からの水を引いた大泉水や富士山を模した築山を造り、全国各所から名石を取り寄せて配したりして「回遊式林泉庭園」として完成しました。
大正13年(1924年)には岩崎家から東京市に寄付され、東京市の公園として「清澄庭園」は開園しました。また清澄庭園は昭和54年(1979年)には東京都の名勝にも指定されています。
清澄庭園へのアクセスは東京メトロ半蔵門線「清澄白河」駅から行くのがお勧めです。清澄庭園は清澄白河駅を出てすぐ5分ほどのところにあります。途中には看板もあり、そのまま進むと清澄庭園の入口です。
清澄庭園に入ってすぐに大正記念館があります。こちらの大正記念館は大正天皇の葬儀に用いられた葬儀殿を移築したものだそうです。パンフレットには大正記念館の横に枯山水があるとありますが、完全に見逃してしまいました。どんな枯山水だったのか残念でした。
大正記念館を過ぎて進むと、急に視界が開けて清澄庭園の全景が目に入ってきます。正直期待以上の庭園の完成度の高さでビックリしました。
大泉水まで行ってみると、磯渡りという池に大きな石を配置し歩けるようになっています。歩いてみるとちょっと怖いですが、池の眺めを楽しむだけではなく、歩を進めるごとに違った景観が楽しめるように工夫されているとのことです。また清澄庭園には各所に大きな名石がたくさん配置されていて、迫力があります。
そして更に順路に沿って大泉水の周りを進んでいきます。
富士山の横には枯滝がありました。
次は池に突き出して建てられている建物です。こちらは涼亭といい、明治42年に国賓の英国・キッチナー元師を迎えるために岩崎家が建てたものです。
後は清澄庭園ののこり半周を回っていきます。
今回の清澄庭園への訪問は11月初旬だったため、紅葉はまだまだでしたが、一部紅葉が綺麗な場所がありました。紅葉のピーク時や桜の季節にもまた清澄庭園に来てみたいです。
清澄庭園の庭園巡りは以上です。
清澄庭園は東京都のなかでも「小石川後楽園」や「六義園」とともにメジャーな大庭園ですが、なかなか江東区のあたりに用事がなく行きそびれていました。今回初めて清澄庭園を訪問しましたが、東京都にある日本庭園の中でも断トツの完成度の高さでビックリしました。
清澄庭園のご案内
所在地 | 東京都江東区清澄二・三丁目 |
アクセス | 東京メトロ半蔵門線「清澄白河」(E14・Z11)駅下車 徒歩3分 |
開園時間 | 午前9時〜午後5時 |
休園日 | 年末・年始(12月29日〜翌年1月1日まで) |
料金 | 一般 150円 |
公式サイト | 清澄庭園(「東京都公園協会」サイト内) |
情報更新日 | 2013/11/16 |
※情報が変更されている可能性があります。公式サイトを確認されてからお出かけすることをおすすめします。
清澄庭園の地図情報
powered by egmap.jp