日本庭園巡り(ホーム) > 霊雲院(東福寺塔頭)
霊雲院
霊雲院(読み方:れいうんいん)は、京都市東山区にある臨済宗東福寺派東福寺の塔頭寺院で、明徳元年(1390年)に岐陽方秀が開き不二庵と呼ばれていました。岐陽和尚は、天龍寺第六十四世、南禅寺第九十六世、東福寺第八十世に歴任した高僧で、明徳4年(1394年)に遣明船が明国から四書や詩経集伝などを舶載した時、岐陽和尚がはじめてこれらに注釈を加えて講義をされ、後に将軍足利義持に篤く帰依されています。
また幕末にはこの寺で西郷隆盛と勤王の僧・月照が維新へ向けて密議をするのに使用され、日露戦争当時にはロシア兵の捕虜収容所としても使用されました。その時のロシア兵が作成した弦楽器なども展示されています。
霊雲院は東福寺駅から東福寺に向かって歩く途中に案内が出ていますが、ガイドブックに載っていないか載っていても扱いが小さいため大抵の観光客は霊雲院を素通りしてしまうため、何度が訪れていますが毎回ゆっくり静かに庭園を観賞することができます。
霊雲院は東福寺に向かう途中に看板があります。看板のところを右折して進んでいくと霊雲院の入口があります。
霊雲院は「九山八海(くせんはっかい)の庭」と「臥雲(がうん)の庭」から2つの庭園があります。受付で入ってすぐにまずは「九山八海の庭」があります。
「九山八海の庭」は江戸時代中期に作庭された庭園ですが、長い間荒廃していたものを昭和45年(1970年)に重森三玲が修復したそうです。九山八海とは仏教の世界観で、須弥山を中心に八つの山脈と八つの海がとりまくというものだそうです。
「九山八海の庭」の中央にあるのは遺愛石(いあいせき)といい、遺愛石は須弥山に見立ており、まわりの白砂の波紋は山海を表現しているそうです。遺愛石のなかにもう一つちがう世界が表現されていそうです。
次に霊雲院のもう一つの庭園、「臥雲(がうん)の庭」です。こちら「臥雲の庭」も重森三玲の手によるものです。霊雲院の名前をテーマとした重森三玲らしい枯山水庭園です。渓谷に流れる川の流れと、山腹に湧く雲を白砂や鞍馬砂で表現しています。
以上で霊雲院の紹介は終了です。
霊雲院は中心の遺愛石がとても存在感があり印象深い庭園です。観光客も少なく、ゆっくり静かに観賞できるのも私的にはとてもポイント高いです。
霊雲院のご案内
所在地 | 京都府京都市東山区本町15丁目801 |
開園時間 | 9:00〜16:00 |
休園日 | 1月中旬〜2月中旬までは不定休 |
料金 | 大人:300円 |
公式サイト | 不明 |
情報更新日 | 2013/10/13 |
※情報が変更されている可能性があります。公式サイトを確認されてからお出かけすることをおすすめします。
霊雲院の地図情報
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